私が徳島県の南部に遊びの拠点をつくる理由
私が徳島県の南部に遊びの拠点をつくる理由
遊びとは「ゆとり」のこと
車のハンドルやブレーキには、どうして「遊び」があるのでしょう。
ちょっと触っただけで大きく曲がったり、ブレーキがかかったりすると危ないからです。
当たり前ですね。
この遊びは「ゆとり」という意味です。つまり、遊びがないということは、
ゆとりがないということ。この状態は、ちょっと触っただけで急加速、急ブレーキ、
急に壊れてしまいかねない、大変危険な状態です。おおよそ正常とはいえません。
でも、世の中は「遊び」を否定しますよね。どうしてでしょう?
遊びという言葉には、一般的な娯楽という意味と、上記のような、ゆとりという意味があります。
しかし、そのいずれも、大人の社会では悪者扱いです。誰もが深く考えることもなく、
よくないことだと決めつけて、徹底的に排除しようとします。
本当にゆとりや娯楽が視界に入るのもおぞましいほど、悪いことなんでしょうか?
もちろん、遊びばかりにうつつを抜かして、やるべきことをやらないのはダメでしょう。
でも、遊びに使う時間もないほどに効率化すると、人間はむしろ非効率になるんです。
いまさらいうまでもないかもしれませんね。思い当たる節があると思います。
ちなみにこの車の例えは、車社会の地方だから通じることで、
運転免許を持っていない都会の人には通じないんですよね。驚きですね。
続のページは現代人が効率化のなかで失った遊びこそが、
効率的に生きるヒントかもしれないというお話です。
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