私が徳島県の南部に遊びの拠点をつくる理由

おしらせ

 

遊びなんてとんでもない!は本当か

 

みなさんのおじいさん、おばあさんのことを思い浮かべてみてください。

あなたが10代、20代と若いならば、祖父母におじいさん、おばあさんの話を聞いてみてください。

およそ100年前の大人は、朝は早くに起きたとしても、

21時、22時、午前様になるまで仕事をするなんていうことは稀だったはずです。

しかし、現在は違います。

そんなことをヘルマン・ヘッセがいっていたことを思い出します。

ヘッセは『少年の日の思い出』という国語の教科書で目にする作品の作家さんです。

エーミールのクジャクヤママユを盗んで壊してしまう、あの作品です。

 

話が脱線してしまいましたが、昔は娯楽としての遊びは少なかったのですが、

そのぶん、生活にゆとりとしての遊びがあったのです。

私は一滴もお酒を飲みませんが、いまのように晩酌する時間もない、

するにしてもすぐに酔いたいから強いお酒を(寝るために)飲むというような、

滋味もへったくれもないような生活ではなかったんですね。

そんなところに創造性や文化ができるわけがないですし、

人間が魅力を感じるわけがないんです。

 

人間はストレスを感じると、極端に脳の創造性が失われるといわれます。

その失われ方はすさまじく、隣の人が怒られているのを見聞きするだけで4割も創造性が

低下してしまうそうです。自分じゃなくても半分近くなくなってしまうのですから、

日々、忙しくてストレスを感じていたり、自分が叱責されたりすれば、

限りなくゼロになってしまうかもしれませんね。

 

さて、そんな人間にどんな価値があるというのでしょう。

効率化の名の下に、ゆとりとしての遊びを禁じ、同時に娯楽としての遊びも悪いこと考える。

結果として、ロボットのような人間が、想像力がゼロ、パフォーマンスも著しく低下した

状態で働き続ける。これって、本当に正しいことなんでしょうか。

そのうちロボットやAIにすべて置き換わるのに、

わざわざ人間がロボット側に寄っていく。

仕事や生きがいを奪われようとしているかのように。

 

とても正気の沙汰とは思えません。

 

人間がアイデアを思いつくのはお風呂やトイレのなかです。

なぜなんでしょうか?

iPS細胞を発見した京都大学の山中教授もそうですし、

アルキメデスが物体の体積の測り方を思いついたのもお風呂です。

人はリラックスした状態にいると、思いもかけないようなことを

考え付くようになっているそうです。

ですので、小説家のなかには1日2回寝る人(寝起きのボンヤリを使う)がいますし、

そんな状態を無理やりつくるために、妙な薬を使う音楽家などもいますよね。

妙な薬は絶対に、絶対にダメですが、リラックスすること、

遊びやゆとりのある暮らしがどれほど人間の能力を高めるか。

論じるまでもないでしょうし、遊びを否定的にみることが、

人間の潜在能力にフタをしてしまうことを考えると、効率的に生きるため、

遊ばないということが、結果として非効率だということがおわかりになるかと存じます。

 

……なかなか受け入れ難いことではありますけれど。

 

次ページ「遊びを通じて徳島県南部を作り変えたい」

おしらせ

Posted by サトウ ユウト