アーケードゲームは終わったは本当か?

リバーサル業務日誌

格ゲーオワコン論は本当か

 

すごく単純な話をします。

アーケードゲームは終わった論がありますが、それよりはるかに遅れてアメリカや中国では、いま盛り上がっていますよね。

 

アメリカも中国も、当時(90〜00年ごろ)の日本のゲームよりずっとずっと進化した、美麗で高性能で豊かな自国開発のゲームがあります。しかし、当時ドット絵が最先端だった時代など知らない人たちが、いまだ熱狂して遊んでいて、それが仕事にすらなろうとしているんです。

 

どうして日本でこれと同じことができないんでしょう。

また、できないと結論づけることができるんでしょう。

 

我々は当時を知っています。それも社会現象のような流行り方をしていて、しかも世界で一番ゲームや漫画に親しんでいる国民です。

なのに、「もう終わった」ということになるのはなぜか。

 

私の足りない頭で考えた答えなんですが、

やっぱり「楽しむ心」が大切なんだと思います。

それがいまの日本には圧倒的に不足している。

 

別にみなさんを責める意図はないんです。

私を含め、日本人は変なところで真面目すぎるかもしれないなと。

遊びであるゲームにすら、苦痛や苦行を求めます。

私自身がザンギエフやエドモンド本田でガイルに挑むのが大好きなのでいえた義理ではないのですが、そうして苦労しなければならない。苦労しない遊びなど、遊んでいるにすぎない……という、禅問答も真っ青なおかしなことをいっちゃうんですよね。それが我々の文化なんです。

 

我々は、楽しそうにしている人が嫌いなのかもしれません。

仕事でもなんでも。見ているとそんな気がしてきます。

しかし、それじゃあいけないなと思うんです。

 

世の中の価値観を丸ごと作り替えるような大それたことは私にはできませんから、まずは自分のお店を持って、楽しむことに特化した遊び場をつくってみたいと思っています。それがゆくゆくは、アメリカや中国のようなゲームの隆盛につながらないかな、と考えているのです。下地はあるのですから、あとはやり方なんじゃないかと。

 

「誰かが楽しそうにしていることが許せない」のではなく、

「誰かが楽しそうにしているから自分も参加したい」

こういう方向へ転換できれば、私としてはいうことはありません。

これが私のゲームにおける究極的な目標ということになります。

 

高めあうゲームもいいのですが、広めあうゲームもいいものです。

アーケードゲーム、対戦ゲームの裾野が広がることは、

とりもなおさず豊かになることです。

 

価値観に相違があるというかたもおられましょうが、

私はゲームを広めることを、高めることより重視します。

どちらが偉いとか、正しいということではありません。

そのなかで、高みを目指す人が出ることは大変によろこばしいことです。

そうなることもまた、豊かな土壌があってこそだと思います。

難しいかもしれませんが、ひとつご理解いただければ幸いです。

 

遊び心が足りないならば、増やせばいい。

新時代に新しい楽しみかたをつくっていきましょう!