私が1クレジット100円を貫きたい理由

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今回はちょっといいにくい話をします。といいますのも、プレイヤーとしてはゲーム料金の安さは「ありがたいこと」だと重々承知しているからです。私のように好きなゲームを稼働させ続けてもらおうと、1クレ入れては(わざと)CPUにすぐに負け、また1クレ入れては……などという無駄をする人は稀でしょうから、そんな奇特な奴のいうことだということを予め知っていただいたうえでお読みください。

 

目次

ゲーム料金を下げると、ゲームは消えていく

 

1クレジット100円を基本にするのは、なにも儲けたいから、あぶく銭で豪遊したいから、というわけではありません。はっきりいって儲からない。儲からない理由は算盤を弾けば(本稿の最後のほうにまとめました)誰でもわかりますのでいまさら解説するまでもないのですが、それでも、1クレジット100円にしておきたい。それでたとえお客さんが減ったとしても、100円を維持していかないといけないと考えています。

 

もっとも、私がやろうとしているお店は1試合10秒とかで終わっちゃう「極まった」ゲームが中心になるので、そこは定額フリープレイや貸切で実質2クレ100円くらいの水準になるのですが……。少なくとも、安易な廉売はしないし、してはいけないと考えています。

 

たまに無料でゲームができるというお店もありますが、ここでは昨今の「基本プレイ無料」なゲームを例に考えます。無料にしてしまうと、その価値自体が目減りする。これが一番問題です。そしてゲームの価値が下がり、プレイ料金が上げられなくなってゲーセンが潰れれば、新作ゲームを買う店が減るのでますます新作は出なくなります。閉店ラッシュでお店が一箇所しかなくなれば、そこまで遠い人や店内に居心地の悪さを感じる人はゲームをやめます。こうして加速度的にプレイヤーもお店も減っていき、ゲーム業界でまわるお金も減って、ゲーム自体が没落してしまう。だから廉売をしてはいけないのです。ですので、私は異常に安いお店には行きません。もっとも、例外なしに弊害だけが生まれるということでもないのですが、原理としてはこうなります。

 

「そんなはずはない!安くしても大丈夫なものがたくさんあるじゃないか!」

という意見もあるでしょう。でもそれは、往々にして「生活必需品」ではないですか? 食料品や衣料品、住宅などは価格競争が起きても、要らなくなることはありません。ですので、需要ぶんは必ず売れるのです。一方で、ゲームなどの趣味、余暇活動は必須のものではありません。食べなければ死にますが、ゲームはしなくても死なない。近しい分野では「出版不況」がそうですが、本は必須ではないので、不況になると真っ先に切り捨てられます。文化活動の後退は、経済の調子を見るのにぴったりです。また、散髪などもそうですね。景気次第で露骨に利用回数が減るそうです。割と必需な分野でもこうなるのですから、価値の維持に努めなければドンドン磨耗し、無料になって消えてしまうのです。

 

こういう事情からアーケードに限らずゲーム業界の門戸が狭まり、可能性や挑戦が減っていくと、発売されるタイトル数が減ります。それはとりもなおさず、どのお店でも同じようなゲームが並ぶことを意味します。商圏が近すぎれば問題ですが、ラインナップが同じというのも同様に問題です。同じ商圏にいても、稼働しているゲームが違ったり、お店の雰囲気が違ったりすることで客層が異なれば問題なく運営でき、共存・共栄できるのです。そうしなければどんどん画一化していってしまう。タイトルや客層の違いは大切です。均質な画一的なものになってはいけません。特定のタイトルだけにプレイヤーが集中している状況は、そのタイトルのプレイヤーからすれば健全であるように見えますが、実は不健全なんですね。そのタイトルがコケたときのダメージが大きいですし、それがレトロなタイトルであった場合は発展性の問題もある。新旧取り混ぜて混在し、分け隔てなく遊べる環境があり、特定タイトルの職人のみならず、マルチプレイヤーの存在が許されるような状態こそが健全だと私は考えます。

 

ふつう、そば屋の隣にそば屋は建てませんよね。和食のお店にするにしたって、寿司屋、うどん屋、定食屋となれば、表面的にはお客さんを取り合っていても、大通りにずらりと飲食店が並べば、総じてお客さんが増えます。メシを食うなら○○通りに行くか、という価値が生まれるからです。そういう効果を狙って動かないと、今後ますますこの業界は苦しくなると思うのです。

 

にもかかわらず、それを忘れて、もしくは意図的に無視して、廉売することで周囲からお客さんを奪おうというお店が出てきてしまう。悲しいことです。そして、こういうお店こそ1クレ100円のお店より、ずっと「ガメツイ」と思うんです。廉売すれば縮小再生産ですから、その後も継続してゲームの価値、発展性、種類、そしてなにより人が減ります。そうして最後のプレイヤーがゲームを辞めるまで、永久に安いまま提供するならいざしらず、周囲のお店を干上がらせてから値段を元に戻すような魂胆だとしたら……? 実態はどうかわかりません。でも、だからこそ、私は異様に安いお店に行かないのです。あまりにうがった見方で酷い言い草だと思いますけども、ポリシーとして許さないんです。頑固でしょうかね。

 

無料が通用するのは誰かの課金があるから

 

最近は「ゲームは無料」という風潮が強いようです。ゲームや娯楽で無料サービスといえばカジノ。カジノに行くと入店料がかかる店もありますが、ドリンク無料だそうじゃないですか。お酒飲み放題。どうして無料なのか。「ほかのところで取っている」からです。

 

無料を謳い文句にするものはほかの業界にも見られます。見積り無料! 送料無料! とかいう宣伝も見るでしょう? 無料なはずがないんです。見積りが無料の会社は、あなたが契約した場合、契約しなかったそれまでの人の見積りにかかった経費を払うことになりますし、送料は無料じゃなくてあなたが支払うか、配送業者が泣いているんです。つまり、誰かが負担している。

 

また、スマホなんかで見かける基本プレイ無料! は、広告費と一部のプレイヤーの射幸心を煽ることで成立しているのです。私はそれが一律悪いことだとは思いません。人のいるところギャンブルはつきものですし、射幸心を煽るなというなら、投資信託だのも含めて、街場のあらゆるギャンブルをやめさせないといかんと思うからです。そんなことをしたら、ギャンブル依存症の人は救えても、違うところに弊害が出てきちゃいますよね。

 

さて、ゲームセンターではどうか。ゲームセンターは風営法で厳しく管理される世界なので、ギャンブルはできません。ですので、お客さんからいただく費用ですべてをまかなっていく方向が基本になります。また、e-sportsなどでスポンサーがついて、プレイ料金が無料になったとして、それはゲームにとって本当にいいことかどうかはわかりません。無料じゃなければやらないなら、そのゲームには本来、お金を払う価値がないということだからです。お金を払う価値がないものを、ゲームメーカーが作ってくれるかどうか。そんなものが本当に盛り上がるのかどうか。時代と技術が変えていくのかもしれませんが、いまのところ「絶対に大丈夫」とはいえないと思います。

無料は劇薬なのです。

 

1クレ100円以下は人類の敗北だと思う

 

ごく限られた時代の、ごくごく一部の話ではありますが、KOF95が出たころは、1クレジット200円のお店がありました。また、お安い店では待ち時間が1時間なんていうことがざらでした。結果、プレイ料金の高騰を嫌って、カプコンは1クレジット1コイン(100円1クレや50円1クレ)でなければ隠しキャラが出せない設定などを導入したと記憶しております。

 

さて、あれからもうすぐ25年。物価というものは緩やかに上昇するもののようでして、それがいわゆる経済成長というものだそうでして、だとすれば25年経ったいま、100円1クレ以下だと「経済的に後退」している、つまり敗北だと思うわけです。

 

もちろん、反論もあるでしょう。25年前の古いゲームなのだから当然だと。でも、古いものは安くならなければいけないんでしょうか。古いものは価値がないなら、歴史的な名作、一番イメージしやすいのは芸術ですけれども、古い小説といったものは読むに値せず、価値がないのか。絵画や陶芸でも、古くてもいいものはありますし、クラシックなど著作権が切れていたって「買う」「聴きにいく」し、博物館もいまだに存在するじゃないですか。さらには、新しいものがいいものだとすれば、歴史のあるスポーツより最近開発されたスポーツのほうがいいわけで、オリンピックの陸上なんて見るに値しないし、競技としてお話にならないはずです。

 

もう私がいいたいことはお分かりになられたと思います。「遊び」「芸術」「競技性」といった分野に、新しい、古いという価値基準自体が相応しくないということです。KOF95がいまでもおもしろいと思うなら、かつてと同じ料金を払ってしかるべきです。「安いからやる」というのは、ちょっと違う。100円ではやらないが、50円ならやるのであれば、その趣味、競技の価値はもはや半分しかないと宣言しているようなもの。それはゲーム好きとしてどうにも納得しかねる部分なんです。もちろん私個人としては、ですよ。

 

95年当時は消費税は3%。それが3倍以上になっている。そして25年分の経済成長ないしは発展を考慮すると、どう考えても1クレ100円では「いけない」のです。(1%ずつ経済成長しているとして)130〜150円が妥当なラインだと思います。しかし、そうなっていない。むしろ安くなっている。つまり、それだけゲーム自体の価値が磨耗しているのであって、これを適性に維持したり、取り戻すような努力をしなければ、ゲームという娯楽自体、産業自体が縮小再生産され続け、いつかは消えていくことになります。私はそれだけはしたくないのです。

 

現実の壁と算盤

 

偉そうに語っておりますが、現実問題として難しいことなのでしょう。しかしながら、不当ともいえるほどの廉売を仕掛けることは、ゲームを盛り上げるどころか殺しにかかる行為であって、安いとよろこんでいる場合ではありません。そしてここいらで、プレイヤーとしては耳の痛い話もしておかなければなりません。プレイ料金の現実の話です。

 

100円1クレジットと50円1クレジットの話は昔しましたが、改めて。

1クレジットあたりにかかる経費(家賃・電気代・メンテナンス費、リース料……)は100円でも50円でも同じです。仮に40円だとしましょう。100円だと40円引いて60円がお店に残る。50円だったら40円引いて10円残る……。

 

どうでしょうか。利益は60円と10円で、6倍も差があります。50円のほうはお客さんが6倍くるか、プレイ回数が6倍にならないと割にあいませんが、実際は人が増えたりプレイ回数が増えると経費が増大しますし、上記に含まれていない人件費がさらに増えますから、10倍くらい利益が出ないとダメなんですね。人がたくさんいる場所(大都市圏や県庁所在地)ならば50円でもいいのでしょうが、そうでない場合100円でも厳しく、前段で適正価格は150円という話をしましたように100円だったら相当良心的だったりするんです。

 

1クレジット100円だと金に汚いといわれるゲーム業界ですけども、どこかで利益を確保しなければならないのはあらゆる業界で当然のことでして、あなたのお給料、ないしはお小遣いはどうやって出てきているのか? を今一度思い返していただきたいと存じます。

 

どこかで利益をあげたから、お金をもらえているのです。利益をあげることが悪ならば、当然に自分も無償で働かなくてはなりません。それで本当に世の中がよくなっていくのか、発展していくのか、円滑にまわるのか……話を大きくしすぎましたが、ちゃんと利益が出ないことには「クソメンテ」にならざるをえませんし、「クソ店」にせざるをえませんし、「新作入らねーのかよ」どころか「新作出なくなっちゃった」になるのは前述のとおりです。

 

この原稿の元になったものは2008年にある場所で発表したものなのですが、2020年、自分でお店を持つことになったいま、やっぱりしっかり稼いで、新作ビデオゲームを堂々とフルプライスで購入したいと思うわけです。

 

思いっきり稼いで、基板ないしアーケードゲーム入りのパソコンを何枚、何台と入れられる資力があれば、ゲーム業界を直接支えられる。地域をおもしろくすることと、ゲーム業界を盛り上げること。その双方の実現のためにはじめるお店です。ご批判もありましょう、至らぬところばかりだと思います。それでも、現状に待ったをかけない限り、アーケードのビデオゲームは消えていく気がしてならない。

 

困った、どうにかしないとと呟いていたってはじまりませんから、私は手足を動かすことにしました。

1クレ100円を基本線に。アーケードを死守したい。

新作を出してくれ、ウチが買うから! といいたいのです。

(先に開業のための4000万円の借金をどうにかするところからですが)

 

そんなわけで、開業の際にはよろしくお願いします!

というとともに、意気に感じるお店がありましたら、ぜひ皆さんの手足で支えて差し上げて欲しいのです。ゲーム愛と意地でお店を運営していらっしゃるロケーションは、まだまだ存在します。重ねてお願い申し上げます。