ゲーセンの財産ってプレイヤーだよねってはなし

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下手でもいいんだ。客は宝だぞ!

ゲーセンの財産、資産を勘違いしちゃいかん

 

ゲームセンターっていうものは、一等地にあることでも、自社ビルだとか最新タイトルがあるとか、そういうことだけが資産じゃないと思うわけですよ。本当の資産、財産は「お客さん」なんです。

 

お客さんなんて呼び方をすると他人行儀で、お金を介しての関係しかないようだから個人的に「大嫌い」なんだけど、つまりはプレイヤー。仲間。一味? そんな感じ。

自分がゲーセンの店長と呼ばれたくなくって、「親方」で通しているのも実はここにある。昔のように140kgもあったらオヤカタだけどね、もう半分以下だから見る影もないんだけど。店長とか社長とか、そういうのはよして欲しい。他人行儀だ。

 

ゲーセンって客と店みたいな線引きが明確なところだったかな? ってことがまず第一にある。

確かに、経営の話をするならば客と近いのはアウトだ。自分がコンサル(笑)で出かけていくなら、絶対によしなさいというと思う。でも、自分が開く店はそうじゃない。お客さんと遠いお店は世の中にあるから、商業的成功はそっちに任せる。商業的にトントンでも、必要なのになくて困ってるタイプの店、いや、店なんていうと白々しいよね。場所ってのをつくりたい。

 

そのためにはレトロな超高級品を並べて、誰にも遊ばせないように博物館みたいに展示するのも違うと思うし、一方で「強い奴だけが正義だ」って感じの運営をするのも違うと思う。

 

ゲーセンに置いてあるゲームなんて、家でもできるじゃん。自分でいっていて悲しくなるけれど、オンラインランキング機能とかがついててさ。ゲーセンのより優秀だったりする。お店は行っても誰もいねえわってことがあるけれど、流行りのゲームの家庭用ならそれはないし、ネット対戦ならマッチングするまでトレーニングモードやアーケードモードを好きなだけ周回できちゃう。

エグいんだな。

 

で、ゲーセンの空気を知らない世代からすると、たっけー金払ってまであんなところに行く気がしれねえよ、バカじゃねえの? って話になる。そりゃそうだ。でも、ゲーセンの空気っていうものはイイもんだよ。

 

自分は負けて腹が立つってことが極端に少ない変人らしいから、「この人上手いなあ」「いつもボコボコに負けるけど、プレイスタイルが好きだなあ」なんて人に声をかけて、なんだかんだで仲良くなって。そうやってゲーセンの空気を感じてた。まさか自分で店を持つなんて2019年まで考えてもみなかったけれど、結果としてそうなっているんだから、きっと好きなんだよね。世のゲーセン好きのなかでもとびきり好きなんだと思う。もう10年くらいほとんどゲームやってないけど。

 

で、ゲーセンの空気という言葉を聞いて「そうそう、そうなんだよね〜」って思った人は、自分と同じようにゲーセンにいい印象を抱いている人ってこった。ここが重要だ。

ゲーセンでつらい思いをした人は、そんなイメージなんて持ちっこないよね。ゲーセンでいい印象を抱くにいたるには、気のあう仲間がいて、一緒にいて楽しかったって思い出があったからだと思う。

 

誰彼かまわず討ち倒し、孤高の一匹狼だったなんて人はめったにいないでしょ。いたとしても、それで生きていられるのは世界にひとりだけだもんね。ナンバーワンの人だけ。それじゃあゲーセンが存在する意味がないんだな。その他大勢からすれば、家でゲームしてたほうが楽しいってことになっちゃうし。

 

でもね、どうにも世の中には、「上手くない奴はゲームするなよ教」の信奉者が多いんだな。最近は動画配信なんかもあって、どうしても瞬間的にコメントを送ったりできちゃう。しかも、素性を明かさずに。

 

ゲーセンにとっての財産はプレイヤーなんだ。仲間なんだな。その仲間のことを悪くいう輩に対して、猛烈に敵愾心(てきがいしん)を燃やす人っていうのが出てくるのは、なにもおかしいことではないよ。

 

自分はあんまり怒らないほうなんだけれど、誰かが勇気を出して、楽しもうとがんばっているところに行って、水をさしたり、芽を摘もうとするような行動を見ると、どうにも腹が立つこともある。

 

赤ちゃんがハイハイしているのを見て、「お前歩けねえのかよ、センスねえから氏ねよ」とはいわんでしょ、ってこと。親なら子どもが歩こうとしはじめたら、泣かないまでもカメラをまわしてみたり、その日の夕飯の団欒はその話題でもちきりになっちゃうぞ。

 

かけがえのない財産なんだ。ゲーセンにとってプレイヤーってのは。

 

でも、現実問題として一般的なお店では、こういった新しい命を守ってはいられないという事情もある。それはわかる。

自分も千尋の谷に突き落とされて、這い上がってきたクチだけれど、あとから追ってくる新人に、「俺はこれだけ苦労した、お前も同じように苦労しろ」とだけはいいたくないんだな。なぜかはわからないけれど、それはしちゃいけない気がする。

 

だから、普通のお店ではできないんだから、オレサマが店を持って、そういうルールの環境を堂々と整備してやろうじゃあないの、というのが「徳島ゲーセンリバース」の骨子になる。そのほか、遊び場がないとつまんないから若者が出て行っちゃうとか、いろいろ事情はあるけれど、それはまあ、大人の理屈だ。副次的なものだ。一緒に遊ぶ仲間がいれば、ここで大人になってもいいかな、年を重ねるのも悪くないかな、と思うかもしれない。そこを重視したいんだな。

 

話がそれちゃったけれど、つまりは、「上手くない奴は遊ぶなよ」「大会に出るなよ」みたいなことをいっちゃうと、ゲーセンという場の意味がなくなる。それだけじゃない。ゲーム自体が楽しくなくなる。となれば、ゲーム市場自体が縮小するし、勝つこと、上手いことがすべてになったり、楽しむことより優先されて目的化してしまうと危険なんだな。

 

これはゲーセンをやるから、金のために方便を述べているわけじゃないぞ。

先にも書いたように、ゲームはもはや家庭用の方が便利だ。ゲーセンは場所と仲間がいるから存在するだけの街の喫茶店みたいなものになった。だからこそ、ネットで完結する機械を介しての競技となれば、ついてまわるのは「チート」だのなんだのという疑念だ。

疑念で済みゃいいけど、AIだディープラーニングだの時代、本当にそいつが人間なのか? 同じ機材で対戦してんのか? っていう問題だって出てくるだろうよ。勝てばいい、強けりゃいい、楽しくなくていい……なんてなったらさ。

 

そんなの、本末転倒だろう?

 

だから、実際に触れ合える距離で、言葉を交わして、同じ時間と空間を共有して遊ぶ仲間、一味こそが資産なんだ。腕前なんてどうだっていいんだ。腕前にこだわっている人とは根本的に考えていることが違うんだから、それでいいんだ。

ま、コロナの影響でいまは集まれないんだけどね。落ち着いたらぜひ、全国各地で集まって欲しい。もちろん、ウチでも。

 

とはいえ、ここまで書いても納得できない人もいると思う。上手い奴、勝てる奴が偉いんだっていう理屈。これはね、正しい。自分も、上手くなるつもりがないことを正当化している人間に出会うと、やっぱり「おいおい」と思うから。

でも、前述のように、考えていることが違うのだから仕方ないところもある。

例えば、皇居の周りをぐるぐるまわってるランナーに、五輪選手が「どうしてもっとがんばらないんだ」「遅すぎ、やめろよ」なんていいにいかないよね?

いうわけがない。足が遅いんだったら放っておけばいいんだから。もっとも、皇居ランナーは五輪のメダルなんて狙ってないだろうし、ふたりは同じマラソンをやっていたとしても、考えていること、目的が違うんだ。

 

だから、まじわることがない。ほかの世界ではそれが成立しているのに、ゲームの世界だとまだまだだ。これはプロアマを分けるくらいの競技性が未発達だからなのかなとも思うし、単に自分のように「クチが悪ィ奴」が多いだけかもしれないんだけど、なんにせよ、ゲームで楽しもう、仲間と一緒に楽しい体験をしようって人をつかまえて、下手だのバカだのいう権利は誰にもない。

……ないよね? おそらくね。

 

下手な奴を追い出せばスリム化して競技性やらが発展するように思えるだろうけれど、それはゲーム(とゲーセンの)財産の毀損だよ。札束燃やしたり、金塊海に捨ててるレベルのね。だから、やめよう。そういう行為について、マジギレする人がいるのもわかってあげて欲しい。ゲームやってる奴なんて、自分を筆頭に「言葉にするのがヘッタクソ」なんだから。自分なんてゲームに輪をかけてヘッタクソだぞ。

だから、ここまで長々と書いてきたような理屈をすっ飛ばして、

「てめえ、オラー! 初心者いじめる奴は出禁だXXX!!」

っていっちゃうワケ。ツイッターとかになると特にね。文字数が限られるから。ここまでで大体3500文字だよ。原稿用紙10枚ぶんにもなる。ツイッターなら25回ツイートしないと書ききれない。そんなの読んでらんないし、そんなに書いてらんないよね。言葉にするより、(ゲーム内の)拳で語れよってやってきた我々だから、さらにそうだろうね。

 

だから、ウチはプレイヤーという財産を守る。そのためには「あの店はレベルが低い」といわれることも受け入れるし、ヘタクソどもとやりたくねーよっていわれることも仕方ないと思う。

 

ウチみたいなところは少数なのかもしれないけれど、本当にゲーセン文化なんてものがあるのだとしたら、それは筐体をズラズラ並べてゲームをチカチカさせていることじゃなくって、人と人が生み出すものだろうから、応援してくれる人がひとりでも、ふたりでも出てきてくれることを切に願う。

 

これからのゲーセン文化は、財産たる人間(プレイヤー)がつくるんだ。お店でもゲームタイトルでもない。人間なしではありえないんだな。

ゲームを介して人と遊ぶことを主眼に置き直して、これからのゲーセンの話をしようじゃないか。

 

蛇足

こんな考えを持つにいたったのは、大学生くらいかな?

「アーケードゲーマーふぶき」ってアニメがあって。最初はラジオを聞いていたんだけど、それの歌詞に引き込まれてしまったことにある。ゲーメストでイラストをやっていた吉崎観音先生の漫画が原作で、アニメになるっていうんでまずは曲を買ってね。

で、アニメを見てね、まあ、びっくりしたんだけども。

それはまあいいや。

「ゲームは(中略)人と人の心つなぐ架け橋」って歌詞がよくって。

いまでも勝ち負けや巧拙でギスギスした空気を目にすると聞き直したくなるから、名盤なんだと思う。聞いたことがないって人はぜひ買って聞いてみて欲しい。

 

アフィ貼っちゃうと、なんかここまでの話が台無しになる気もするけど、こんなだよって意味でジャケット確認用に。秋葉原の店頭で買うのはちょっと勇気いったよね。買いに行ったときはちょうどヤマギワが燃えたころだったかなぁ。