バランスのいい格ゲーはおもしろいだろうか?
目次
バランスのいいゲーム至上主義に問う
断言しよう。バランスのいいゲームなんてない!!
いきなり結論みたいなものを置いておくぞ。
バランスのいい格ゲーなんてない。
ああ、スッキリした。もう筆を置いてもいいかな?
バランスのよさってなんだろう。
みんなは真剣に考えたことがあるかい?
バランスなんてものは同キャラ戦であるかどうかで、
基本的にそんなものはありえないと思うんだ。
どんなに調整したってムダじゃないかね。
メーカーは客商売だから賽の河原で調整するだろうけどもさ。
そもそも、バランスのいいゲームというものをキミは見たことがあるのか。
あるのだとしたら、もう格ゲーはおしまいだ。新作なんて出てこない。
なぜって、それで完成しているからだ。
そんなことはないって?
斬新なシステムや映像技術の進歩でゲームは作られるはずだ?
本当にそうかな。バランスが取れていたらみんなが納得するならば、
別に映像の美しさなんてどうでもいいんじゃないか?
バランスがいいか悪いかがすべてのようないいかたをする人が本当に多いよね。
いいゲームかどうかのほぼすべての判断を「バランス」でしているじゃないか。
「おもしろいかどうか」までバランスだけで判断しようとしている。
だから、バランスが完璧なゲームが出てしまえば、映像だシステムだの
枝葉末節がどんなに立派になろうとも、そのゲームを超えるものはできない。
ゲーム開発の終了だ。全メーカーが撤退することになるよね。
そうはなってないということは、バランスがいいゲームなんてないのか、
もしかしてバランスのよさって、
ゲームのおもしろさと関係ないのかもしんないぞ?
本当にバランスはおもしろさなのかな?
親方は根本的にバランスのよさがおもしろさだとは思ってない。
ダイヤグラムだってどうでもいい。1:9のダイヤと聞けば、嬉々として使う。
本田でガイルに挑むし、ザンギでも挑む。そんなもんだ。
キャラ差やバランスなんて言い訳だとすら思っている。だから、
キャラ差やバランスの悪さと、おもしろさの間にはなんの相関もないとも思う。
なぜって、これを口にする人は、
決まって不利なキャラを使って負けているからだ。
つまり、負けることがつまらないといいたいのに、
問題をすり替えているんじゃないの? ということだ。
親方はボコボコに負けても超楽しい。悔しいと思うのはキャラ差よりも、
思い通りに動かせない自分に対してだけだね。
どうしてそんなふうに思えるかというと、結局そのキャラを選んだのは
自分だからだ。弱いキャラを使おうと決めたのは自分じゃないか。
負けるのがつまらないのなら、強いキャラを使えばいいんだ。
自分以外の誰に責任があるっていうんだ。
それに、最近よくあるアップデートとかで自分の好きなキャラが強くなったら、
大よろこびでボコボコにしてまわらないかい?
もしくは、強キャラを使っているのにヘタクソっていわれるのが怖くて、
アップデート後に使うのをやめちゃうかもしれないか。
勝ってきもちよくなれば、ふつうゲームに文句なんていわないよね?
結局、負けることにイラついていて、それをバランスのせいにしてるだけじゃない?
だとしたら、深呼吸して、考えを改める時期かもしれない。
ゲームのおもしろさを「自分が勝てるかどうか」に設定しちゃうと、
本当の意味では楽しめない。それどころか、自分も他人も楽しくなくなる。
そういうところまで気づく時期になったということなんだよ。
それだけ格ゲーの世界は成熟したんだ。
勝つためにやるのは不純で不毛だ
これは個人的な意見だよ。
親方はゲームは「ゲーム道」といえるほど、柔道や空手道のような世界に
なれると思っている。だからこそ、強くなるためにやるのはよくっても、
勝つためにやる、名誉のためにやるのは不純で不毛だと思う。
誰かをやっつけるためにやるよりも、自分を乗り越えるためにやるほうが
自分自身の中身が成長するからね。ゲームの巧拙に囚われない。
昔のゲーセンには「勝ってはいけない人」ってのがいた。
みんなは知らないかもしれないけど、本当にたくさんいたんだよ。
その人に勝ってしまうと、なにをされるかわからないんだ。
本当に勝つことを目的にすれば、どんな汚い手段だって使える。
ゲーム外の部分で勝つことを考えればいいんだよね。
柔道をJUDOにするみたいにさ。ルールをねじ曲げちゃえばいいや!
なんてことにもなってくる。これが競技性だの勝利至上主義だのの弊害だ。
それでもいいんだけどさ、親方はゲームは楽しくやって欲しいし、
自分や他者の成長のためにやって欲しい。
勝った、負けたのあとに、両方に充実感があって欲しいと思うんだ。
だから、実力を隠して初心者をいたぶったりするのも違うと思う。
勝利至上主義ならば、勝てる相手に勝つことを是とするだろうから、
こういう考えにもなってしまう。
そうじゃなくって、対戦ゲームは相手があってはじめて成立するのだから、
手垢にまみれたいいかただけどさ、相手に敬意を持って欲しいんだ。
勝つほうはスゴいんだけど、負けるほうもスゴいんだよ。
勝てないかもしれないのに、勝負に挑んでくれたんだから。
敗北者になることを恐れず挑戦したんだから、スゴいんだ。
対戦を成立させてくれないと、勝つことも負けることもできない。
この部分のスゴさを、みんなあんまり感じてないようだよね。
対戦相手がいることは、そのお店で一番になることよりずっと
スゴくて、ありがたいことなんだぜ。
そういったところに楽しみを見出して欲しいよね。
ほらね、やっぱり「道」になるでしょ。
何十年も楽しむ趣味と考えれば、ゲームのバランスがどうこうなんて
狭い価値観でおもしろさを測るより、道の充実で測るほうがいいって。
少なくとも親方はそう思うなぁ。
バランスぶっ壊れのほうがおもしろいぞ
正直な話、負けることが恥ずかしいことじゃない、下手でも挑戦するのが
立派なんだという「道」のような意識が共有されていくと、
いろんなことから自由になれるんだ。
すでに書いてあるけど、負けることの恐怖や恥ずかしさから自由になる。
これって簡単なようで難しいからね。
次に、容赦なくバランスが壊れているキャラを使えるようになる。
これも自由になった証だね。
その反対に、本当に好きな弱いキャラでやっていく覚悟が決まる。
勝つことに執着しなくなると、キャラ選択に迷いがなくなる。
迷わなくなると、次の扉が開けちゃったりするかもしれない。
で、バランスぶっ壊れゲーをやるんだ。
上手くて勝つヤツはスゲー!
下手でもがんばるヤツもスゲー!
強キャラ、弱キャラ、それぞれにスゲー!
語彙力なんてこんなもんでいい。
みんなが素直に「スゲー!」といいあえる環境ができたら、
ゲーセンって最高におもしろい場所になるんだよ。
ライブ会場みたいにね、ひとつになれるわけなんだ。
時間と場所、経験を共有すると、人はすごく楽しく感じるんだよ。
家でネット対戦じゃなかなかそうはいかない。
サテラビューやドリームキャストのころなら、
それでも興奮してたけどもだ。
出不精で根暗な親方がいうんだから間違いない。
やっぱり共有してひとつになれる環境って楽しいんだよ。
あとはね、誰かが素直に「スゲー!」というようになるのを待つんじゃなくって、
自分から安直に「スゲー!」といっていこう。
「スゲー!」の輪が広がれば、どんなゲームも「おもしろい」んだ。
むしろ、バランスや出来がぶっ壊れているほうがおもしろいんだって。
本当にどうしようもないぶっ壊れキャラ同士でトーナメントを勝ち上がって、
全力の潰し合いとかになったらどうだろう。
これはこれでタギるものがあるよな。
1コンボで即死、開幕5秒で即死。
そんな雑な部分があって、それを許せる仲間と環境があるならば。
あいつの小Pの発生が1Fはやいのなんの、なんてどうだってよくなるぞ。
そっちのほうが、自分を大きく見せようなんて肩肘張って、
負けるのを恐れてゲームするよりずっとラクで、
ずっとずっとおもしろいゲームになると思うんだけど、
みんなはどう思う?
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