テレビ、ネットニュースからリバースを見にきたんじゃろ?!

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徳島ゲーセンリバースというか、オヤカタを見にきたんだな?

このところメディアに出る機会がまた増えてきたので、特設ページでもつくっておこう!

ということで、こんなページを用意してみました。

いきなりこんなことをいうのもナンなんですが、こういうバブル〜90年代の口調で書くことを

不快に思うかた、ごめんなさい。ゲーメスト世代、ミニ四ファイター、ビーダマン……

こんな口調のアニキ的キャラが随分と減ったから、ゲーセンのコンセプト的にもこういう口調に

しちまおう、と安易にはじめてやめらんなくなっちゃって。

大のオトナがなんたることだ! とかいうのはノーサンキューで頼むぜ。

 

(リバースのコンセプトは壊れた機械を捨てずに直して遊んでもらう。だから自室はいつもこんな感じ)

さて、オヤカタのはなしをしよう。

オヤカタは大学進学で東京は秋葉原に引っ越したわけなんだけど、

アニメもゲームも漫画もからっきしだった。

じゃあ秋葉原になんで住んでたんだというと、大学まで3駅でね。

当時はスーパーもなく、バスケットコートはあったけれども、

ひどく暮らしにくくて家賃が安かった。買い物は上野のアメ横まで買い出しに行ったくらいだ。

で、その後出版社を渡り歩いたり、学生のころに本の要約をFAXやメールして注文を取る

本の通販をはじめたりしていたのをおもしろがってくれた人に企業コンサルタントの

仕事を任せてもらったりしてたんだけど、

特に出版の仕事が厳しすぎて心因性?の狭心症で検査を受けたのを機に徳島に帰った。

このころにはすでに「線維筋痛症」の初期症状を持ってたんだろう。

あちこち痛かったり、鉛を貼られたように重かったもんなぁ。

 

それで徳島に帰ってきたけれど、症状は重くなるばかり。

ロキソニンを飲んだり、ステロイド治療を受けたりしながら働いていたけれど、

気がついたときには、だましだましが通用しなくなってたんだ。

お見舞いにきてくれた大学の先輩などもいるけれど、

当時のことを知っている人からすれば、徳島にいたオヤカタは別人だったろう。

140kgが58kgまで痩せてたってのもあるだろうけど、

なにより「火の玉」みたいといわれたオヤカタが、一切の覇気もなく、

ただただ仕事をするだけの人になっていたから。

 

いまから思えば、心の面でもぶっ壊れてたんだろうね。

年に600冊、文献を買ったり、ビジネス書を読み、朝夕2回は書店に行き……

そのお金を捻出するために寝ずに特殊清掃のバイトをして、

お金を握りしめて朝イチに書店に走って大学に行く。

そんな火の玉野郎が、ただただ仕事を繰り返すだけの廃人、

病床にあってはなんの感傷も感動もなく、ボンヤリしていただけでね。

まあ、トイレにもいけない寝たきり、目も開けていると痛いしね。

シェーグレン症候群のせいで光過敏になったり、それで視力がほとんどなくなったり。

 

人間、絶望したらどこかの漫画の主人公みたいに「絶望した!」なんていわねえんだな。

何をいわれても腹も立たないし、何かいわれたら「そうだな」と素直に思うし。

すごくなめらかで平坦だった記憶があるね。

体の痛みや、トイレにいけずオムツをしていることで十分つらいから、

心が動くようなことを徹底的に避けてたんだろうなぁ。

弱っているときに変なものにつけいられる人がいるのは仕方ねえさ。

世の中に対してガードを上げてるエネルギーすらねえんだもん。

あのころなら、「コロしてやるって」いわれたら、よろこんで死を選んでたろうさ。

それくらいのノーガード。

「なんで自分だけ」だとか、世間様に恨みを抱けるうちはまだまだ絶望してねえんだな。

それが知れただけでも、大きな収穫だと思う。

底のほうまで落ち切れば、なんの感動もねえんだ。悟りの世界に近いのかもね。

 

そんな平面のようになっちまったオヤカタを見た知人が、

心がとてもあたたまる、それでいて起伏などのストレスのないアニメがあるから、

病床で見なさいと持ってきた。

 

 

いや、オヤカタはアニメとか見ないしさ……。

もっといえば、目を開けているのもつらいのに。

でも、文句をいう気力もなかった。

1mといわず、70cmくらいの距離しか見えないけれど、

音だけでも感じて楽しんでほしいといわれたからね。

 

知人が持ってきたのが毎週(2〜3週間ぶん溜めて)放送されていた

けものフレンズっていうアニメだった。DVDに録画して、

わざわざ持ってきてくれたんだ。よくないことだろうけどね。

 

いまなら、けものフレンズの1話冒頭の時点で「ちょっと待てよ」っていって

視聴をやめているかもしれない。しかし、当時は批判する気力もなかったし、

なめらかな精神状態だから受け入れられてしまった。

最終話が近づくにつれて心が動いているのがわかったし、

定期的に届けてくれた知人も、10話、11話、12話あたりの展開を見て、

病人にとんでもないモンを薦めてしまった……

これでもし……だったとしたら……オヤカタが自ら命……

と気が気じゃなかったそうな。

 

(命を救われたわけだから、感謝して新品で毎月BDを買って未開封新品で飾っているのだ)

 

そんなわけで、まだ人間的な部分があるじゃないか、

もし病状がよくなったら、恩返しがしたいと思いはじめたんだ。

誰に返すでもないけれど、火の玉だとか、砲弾だとかいわれた人間じゃないとできないことで恩返し。

神様がいるとしたら、もう少し生きて社会に貢献しろっていってると理解してさ。

こんな体にしたのもテメーじゃねえのか?! と思わないわけでもないけれど、

一度は捨てようと思ったものだからね。

ここからの人生はロスタイムなわけでさ。神様に恨み節いうのも変な話よね。

一度捨てたんだから。それを小賢しく拾い直して生きてる以上、向こうもお目こぼししてくだすってるんだろう。

 

だから、私財を投げ打って、ゲーセンをはじめた。その前にシェアハウスを〜とかあったけど、そこは触れんな!

数千万円借り入れてゲーセンをはじめ、いままた1000万円追加融資でもって修理工房を新設している。

 

 

ゲームセンターの名前は「徳島ゲーセンリバース」だ。

リバースってのは格闘ゲームの起死回生、起き上がり攻撃の意味でもあるし、

再誕という意味もあるダブルミーニングってヤツだ。

オヤカタ自身の復活でもあるし、80年代、90年代のゲーセンにあった機械を修理して、

みんなに遊んでもらう再生の意味もある。

 

駅前じゃなく、海のそばの森の中に建てたのも「敢えて」だ。

田舎には人が集まる場所がない。

だからつまらないし、人が居つかない。

都会的な楽しさを地方が真似たところで、都会には勝てないんだよ。

見てきたから知ってんだ。都会の真似をすれば、ますます若者や

地方の人間は「ホンモノ」を見に都会に出ていっちゃうと思ってさ。

 

田舎に中年が集まれる場所、公民館みたいなのがあるといいなってね。

おしゃれなカフェとかじゃなくさ。中年のオッサンが集まって、

ああでもない、こうでもないと気兼ねなく、夜中まで語れる場所。

 

そういうのがありゃあ、ちっとは地域貢献できるんじゃないかってね。

地方の中年の力を束ねて、もっとおもしろいことをする。

そんな決意のもとではじめたのがリバースだ。

 

ゲーセンを建てはじめて3年。開業から2年を迎えようとしている。

まだまだはじまったばかりだけれど、リバースは今後もクソ田舎から

おもしろいを提供していきたいと思っているし、

オヤカタも病気を抱えてケツから血を流しながらでも

(あ、潰瘍性大腸炎って難病も持ってんのよ。たくさん病気がありすぎて書くの面倒だったけど)

がんばっていこうと思う。

 

我々の歩みはYouTubeの専用ページなどで今後更新予定だから、

ぜひぜひチャンネル登録してもらえるとありがたい!

 

ゲームの大会や解説のほか、一晩中機械を直したり、DIYしたり、昔のゲーセン思い出話をしたり

していくんでね。みなさんもリバース勢になって、一緒に楽しんでいきましょうぜ!

とりとめのないブログになっちゃったけど、とりあえずはこのへんで!

 

最後にもう一度。

オヤカタはこんなに苦労してるから、君も大丈夫! とか安易なことはいわねえ!!

いわねえけど、YouTubeだけ登録しとけ!!

オヤカタのけものフレンズでの感動の3%くらいは、みんなに生きる気力を与えようと思うから!!

 

はい、台無し〜。