「ゲーセン文化をまもる」という嘘をついてきました

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ゲーセンがゲーセン文化をまもります! 応援よろしくお願いします!!

これ、わかりやすいし、間違ったことはいってない。

オヤカタも便利だからこういう言葉を吐いてくれって空気になったら率先して使ってきたけれど、

常々「いま、嘘ついてるな」って思っていたんだ。

 

そもそもオヤカタみたいなもんがゲーセン文化などという壮大なものを理解、

認識できるわけがないし、まもれるはずもない。

 

だから、まもります! なんていうのは嘘八百もいいところだと思っている。

オヤカタがゲーセンをやっていって、おもしろさや楽しさ、

交友関係を生み出していくことが後で歴史だの文化だのになることはあっても、

すでにあるものを伝統として継承していくってのは嘘になるんじゃなかろうか。

 

なにより文化なんて耳に心地よい言葉を使って、耳目を集めるのは卑怯だと感じている。

誠実すぎるだろうか? そんなわけねーとも思う。

こんなバカでちゃらんぽらん人間でも思いつくようなはなし、世間が気付いてないはずがない。

 

だからオヤカタは、リバースは、ゲーセン文化はまもれない。

ただ、令和に新しくゲーセン文化をつくることはできるかもしれない。

 

文化っていっておけば、とても大切でまもらなければならないもので……

と、目にした人を脅迫、強制するような言葉はね、オヤカタ個人には馴染まないんだ。

そりゃあ、ゲーセンに行かなきゃゲーセンはなくなるけれどもさ。

 

ゲーセンやってても「ゲーセン文化」ってもんがどういうものかわからないし、

みんながどういう意味で使っているかもわかんねー。

 

だからリバースは「ゲーセンの宝は人であってゲームじゃない」を掲げて、

今日も戦っているわけだ。それをゲーセン文化と呼んでくれるなら、

とてもありがたいことだと思う。

 

ゲームがあるだけ、没交渉で遊んで帰るだけ、プレイヤー間ではなしたり、

声をかけられるなんてゲーセン文化じゃない! って人もいるだろうからさ。

文化や伝統なんて大看板、オヤカタにゃ荷が重いのよ。

 

それでもリバースの考える理想の環境がゲーセン文化と呼ばれるよう、

文化をつくることはできるかもだからさ。

そんなテキトーなもので構わないっていってもらえるなら、

これからも「ゲーセンの宝は人」って方針で突っ走っていこうと思う。

 

もうすぐ2周年。そして3年目だ。

変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願いしますぜ。