対戦環境の今後について思うこと

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ゲームは勝つことがすべてである

ただし勝利の条件はそれぞれが決めること

格ゲーシニア五輪

 

ゲームに勝つということは、そのプログラムが用意したルールに沿って判断されることなのか、という話です。

これだけ趣味や楽しみ方が多様化している時代、別にゲーム上の勝利画面を出したから勝ち、と単純化することもなかろうと思うんですね。

ゲームの画面上の勝利のみを追い求めるなら、究極の効率化をすることになります。

で、それっておもしろいの? とも思うんですね。

 

プログラムは固いんです。穴を見つけることができたとして、それを戦略に組み込む等あったとしても、人対人の練習、工夫、戦略、謀略といった血の通ったものから遠くて、固い。例として正しいかはわかりませんが、例えばサッカー。ゴール前にロングボールを蹴り入れて、強引に蹴り込めば勝ちです。でもこれじゃあつまらないからオフサイドを追加した。一方、ゲームというものはプログラムなんで、あとからオフサイド追加しますってことができないんですよね。まあ、いまは時代が進んでアップデートとかでできますが、それを許すかどうかを決める組織もない。統一プロ団体がないから。

 

ちょっと話が逸れてしまうのでこの辺で切り上げますが、つまりはやはり、究極の効率化を目指した場合、プログラムという確固たるものを介してしまうため、突き詰めていくと全員が同じキャラ、同じ動きをしないと「おかしい」ことになるんですよ。せいぜい、Aというキャラに有利なのはBなのでBをやる、くらいのもので。で、それっておもしろいのかと。ここに帰ってくるんですね。やる側はそれでも楽しいのでいいとして、見る側がおもしろいのかっていう視点もあるんですね。対戦環境という視点を持てば、やっている数人だけがおもしろいのでは困る状況って結構あるわけです。考えれば考えるほど、部分最適でしかなく、みんなにとって楽しい、おもしろいにはならないよな、と。

 

例えばですけど、全試合ミラーマッチ(同じキャラクター同士の対戦)、待ちが強いゲームなら開幕から両者下がってタイムアップまで手を出さないで引き分け。これが正しい形だとして、これを応援できるのか。私には無理です。

 

やっぱり、非効率でもおもしろそうなことをしてくれないと、人間見てらんないはずなんですよ。AIプログラム対決とかなら100年引き分け続けるとかでもいいんでしょうけどね。こちとら寿命がありますから。おもしろおかしく生きたいわけです。

 

結局のところ、見る側がおもしろくないものは流行りません。新しい人が入ってこないからです。また、究極の効率化を標榜するなら、最強の1人を除いてプレイすること自体が非効率なので、プレイ人口が増えません。ジリ貧なのは当然です。突き詰めるおもしろさの前に、なんとなくおもしろそうという段階を踏まないといけない。いきなり定石を学べ! とかいわれても閉口するだけです。

 

なので、私は勝利はそれぞれが決めていいと思っているんです。

 

もちろんガチンコでやるというのは大切ですが、ただただ全員が根を詰めてやればいいというものでもないはずですし、上手くなければやっちゃいけないというものでもないはずです。あなたが楽しむことが勝利条件だと設定すれば、それが勝ちです。勝ちの種類、道筋はいくつもあっていいのです。

 

強い人、上手い人がすべてだとすれば、あらゆる競技が成立しません。野球もサッカーも、1番のプレイヤー以外は要らないからやめろよって話になっちゃいますからね。野球は各チームに9人、サッカーは11人必要なので、1番だけ残れとはなりませんから、ベンチ入りメンバーと2軍選手くらいまではいてもいいかもしれませんが、あとはいらないからやめちまえって話になると、プロスポーツとして成立しないわけです。

 

「ヘタクソは応援だけしてろよな」ということもいえるのかもしれませんが、そのスポーツと接点がなければ、応援することもないわけで。やっぱりプレイして楽しむ人がいないと、自然と地盤沈下してしまうわけです。

 

当然、そりゃないぜ〜って話になりますよね。プレイはしないけど、応援はするという人だっていていいですし、いるべきです。どうしてやらないんだと強要する必要もなくて、言葉として適切かはわかりませんが、ファンとして枯れ木も山の賑いといいますか、そういう人や団体があってもいい。プロ野球の応援団は応援に特化してますでしょう。ああいう人がいてはじめて、プロとして成立しますし、プロとまでいかなくても、競技が認知され、確立されるんですよね。

 

これを上手いことやっているのが将棋です。かつての羽生さんなんて勝つのが当たり前。でも、羽生さん以外は将棋やめちまえとはならない。対局者が必要ですからね。で、そういった頂上の部分に限らず、将棋はヘタクソでも指していいわけです。縁側で茶をしばきながら、煎餅を貪りつつ、じいちゃん同士が将棋や碁を打つ。これが悪いことなのか。囲碁将棋サロンに行っちゃいけないのか。御察しの通り、ヘタクソ・ゴーホームとはならんわけです。だからこそ裾野が広がり、新戦法が出てくれば真似したいと情報に価値が出てメディア(紙やネット媒体)が売れ、固定ファンが将棋の世界を応援し、感動やお金が循環するんですね。

 

e-sportsなんていっていますけれど、これがちゃんとできるのかな? という点に尽きます。対戦環境すらまともに維持してこなかった我々が、こんな組織的な行動ができるのかと。私も個人的にこうしてシェアハウスをはじめてみましたが、本当はちゃんとゲームセンターとして営業許可を取って、全国津々浦々に「格ゲーサロン」を設けたいのです。

 

将来的には格ゲーつき老人ホームをやって、格ゲーシニア五輪をやりたい。70代最強の本田使いとして君臨したいわけです。そうすれば、こののち数十年は格ゲー文化は死にませんよね。年を取って若い連中に勝てなくなろうが関係ない。いまの年齢で、歴代最強であればいい。自己最高であればいい。そういう価値観を定着させて、自己研鑽のためのひとつの道として確立したいのです。大仰ですけども、そこまで継続的にやっていける文化の定着を早期に図らねばならないと考えています。

 

応援していただけるかたがおられるなら、ぜひにお願いしたいところです。

クラウドファンディングとかすればいいんですかね?

したとしてどうでしょう。

応援しているですとか、金出すぜ! ですとか、我こそは! って人、いますかねぇ?

ご意見、お聞かせくださいな。